twitterやInstagramの闇
私は5月から6月にかけてとても気分が落ち込んでいた。
理由としては1つ前の記事に書いた
東京に来ても何も変われない自分に対しての虚無感だった。
私の高校の同級生が大学の友達と楽しそうにしていたり、何か希望に満ち溢れたようにしていたり、何かに打ち込んでいたり そういったことが伺える様子がtwitterやInstagramにどんどんアップされた。
その様子を見て私は焦った。
私には今何も目標などない。
むしろ目標が達成されて
燃えついてしまったという部分もある。
淡々と日常を過ごしているだけ。
でも、どうしていいのか分からない。
ますます焦った。
取り残された気分だった。
もう誰も私のことなんて気にしている人などきっといない。
巷にはFacebook鬱 という言葉があるらしい。
私はFacebookをしたことがないので分からないが、きっとそれと同じような感覚だと思う。
この記事を読んでいる人は
実際私もそう思う。
でも、それが出来ない。
焦りや取り残されているかのような不安を感じるので周りが気になって仕方なくなってしまうのだ。
高校時代人気者で他の高校にもたくさんファンがいるような子だった同級生のtwitterを覗いてみると、大学でも全く高校と同じようにキラキラしてるし夢に向かって頑張っている。
自分の中に産まれた虚無感がSNSによって膨らみ、その膨らんだ虚無感と焦りと不安のせいで周りのことが気になって仕方なくなり、ますます焦る。そんな無限ループだった。
そんな時 とある本に
『隣の芝生は見るな』と書いているのを見た
いやいや、それが出来たら悩んでないよ
そう思ったが
私も人に羨ましがれる事があることを思い出した。その度に何も言わないだけでそんなことないよ、全然貴方が思うような私じゃないよ なんて思ったりもするが、
私の芝生を青いという人もいる。
私が羨ましいと思っているあの子も実は私のように何かを抱えて悩んでいるのかもしれない。
結局は隣の芝生はきっといつでも青いのかもしれないと思った。
今は その状態から完全に脱却出来たという訳ではないが、前よりは全然落ち着いている。
こんなことで悩むなんて自分でも情けないが、もっと自分と向き合ってこの感情をどうか完全に昇華させていきたい。